【クライマーの履歴書】公式戦セッター・大谷拓海さん

橘

こんにちは。橘です。

月のホールド交換に際してゲストセッターにインタビューさせていただくこの企画。

過去には島育ちセッターのショウさんや、日本代表選手でもある小西桂こにしかつらさんにお話を聞かせていただきました。



ということで、いまや恒例となりつつある本企画ですが、今回も魅力満点のゲストにお越しいただいております。

ご紹介いたしましょう。

大谷拓海おおたにたくみさんです!

ひょっこり登場してくださいました。

大谷さんは現在、ジムのセットだけでなく、神奈川県の主要なローカルコンペである藤沢カップなどでセットを任されるコンペセッター。過去には高体連主催のコンペにおいてもセッターを務めたご経験があります。

その一方で、クライミング業界には属さず、普段はべつのお仕事を本職として持っている兼業セッターなのです。

クライミング界において重要かつ珍しいポジションに位置している大谷さんのお話は、どれも興味深いエピソードばかり。

出題者コンペセッターの本音を聞ける貴重な内容となっておりますので、ぜひとも最後までお読みください。

クレイジーな環境の恩恵

めてのセットは高校生のときだったという大谷さん。

そんな大谷さんのクライミング生活の始まりを、まずは聞かせていただきましょう。

山岳部から始めたクライミング

橘

そもそもクライミングはいつから始めたんですか?

大谷さん
大谷さん

クライミングは高校からですね。

橘

あ、けっこう遅いんですね。もっと小さい頃からやっていたのかなと思ってました。

大谷さん
大谷さん

いえ、高校で山岳部に入ったのがきっかけでしたね。

橘

山岳部がある高校って、けっこう珍しいんじゃないですか?

大谷さん
大谷さん

そうですね。でも、ぼくが入ったのは愛甲石田にある伊志田いしだ高校っていうところなんですけど、あのあたりは山岳部がけっこうあるんですよ。

橘

入学前から山岳部を狙っていたんですか?

大谷さん
大谷さん

いや、全然(笑) 「高校では変なことしたいなあ」って漠然と思っていたので、入学後の部活紹介を見て「これだ!」と。

体育館の天井からロープで降りてくる光景に一目惚れしたそうです。

橘

でも、山岳部ってクライミングだけじゃないですよね? むしろ登山がメインのイメージがありますが?

大谷さん
大谷さん

どっちもあるんですけど、ぼくが入ったときには熱心な先輩クライマーたちがいて、その人に誘われてハマっていきましたね。

橘

じゃあ、その先輩たちがいなかったら、今日こんにちの大谷さんはいなかったかもしれないですね。

大谷さん
大谷さん

かもしれないですね(笑)

高校時代の大谷さん。御岳山にて。

部室で知ったセットの楽しさ

大谷さん
大谷さん

うちの山岳部はけっこうすごくて、部室にクライミングウォールがあったんですよ。

橘

へえ、すごい! そういう施設があったってことですよね?

大谷さん
大谷さん

いえ、部員がタンカン(単管パイプ)組んで自作したんです。

橘

え、高校生がつくったんですか?

大谷さん
大谷さん

そうです(笑)。 しかも、部活用のだけじゃなくて、文化祭の出し物として校舎の2階くらいの壁も毎年つくってました。

橘

なんていうか、大胆ですね。

大谷さん
大谷さん

高校生に単管パイプで工事させるって、フツーに考えてヤバいですよね(笑)

懐かしそうに笑う大谷さん

橘

たしかに、よく許可が下りましたね。伊志田高校は私立ですか?

大谷さん
大谷さん

いえ、県立なんですけど、教師のなかに山ヤ(登山マニア)みたいな人がいて、その人が「つくっちゃえ!」って言ってつくられたみたいです。

橘

すごいアグレッシブな方ですね(笑)

大谷さん
大谷さん

クレイジーだけど良い先生ですね。

橘

それじゃあ、最初にセットしたのもその部室の壁ってことでしょうか?

大谷さん
大谷さん

そうですね。その部室の壁をいじっているうちにセットの楽しさに気がついたんだと思います。

伊志田高校の部室で登る大谷さん。


かくして、大谷さんのクライマー・セッターとしての始まりが明らかになりました。

クライミングを勧めてくれた先輩たち。

自分たちでつくったクライミングウォール。

高校生に工事させちゃうやんちゃな先生

これらのすべてが、今日のセッターとしての大谷さんの現在を形作る大切な基礎になっていたのです。

文化祭のために高校生たちが自作したクライミングウォール。

たしかに、安全性の観点から見れば、少し怪しいところもあったのかもしれません。

しかしながら、そうした大胆な試みが、一人の少年に大きな転機をもたらしたこともたしかです。

安全や無難を追求するばかりに、子どもたちの遊具や遊び場が次々と失われていく最近の状況について、考えを巡らせたくなるようなエピソードだったように思います。

子どもの健やかな成長は、安全性だけでは語れない気がします。

セッターの頭のなか

校時代の山岳部から幕を開けた大谷さんのクライミング人生。

大谷さんはその後もクライミングを熱心に続け、コンペセッターを務めるまでに至っています。

ここからは、大谷さんのセッターとしての活動や考え方を、さらに詳しくお尋ねしています。

面白いことを追求した結果

橘

高校卒業後は、セットも本格的に手がけるようになった感じでしょうか?

大谷さん
大谷さん

そうですね。ぼくは大学院まで進学したんですけど、卒業までに川崎の PUMP2パンツ− と、厚木の Lampランプでお世話になって、セットはそこでもやるようになりました。

橘

現在は神奈川県の高体連のコンペセットもやったことがあると伺ったのですが?

大谷さん
大谷さん

高校時代からのお付き合いもあったので、その関係で呼んでもらいました。で、社会人になった現在いまも続けている感じですね。

橘

なるほど、ご縁ですね。

大谷さん
大谷さん

それもあるんですけど、暇だったのが大きいですね(笑) ぼくは時間的に融通の利く仕事をしていることもあって、動きやすいんです。

セットがちょうどよい気分転換になっているという大谷さん。

橘

ちなみに、お仕事はなにをされているんですか?

大谷さん
大谷さん

プログラマーです。

橘

え、かっこいい! イマドキですね!

大谷さん
大谷さん

ですね(笑) でも、べつにトレンドを狙っていたわけではなくて、もともと数学とか理系科目が好きだったので、興味を追っていたら自然と行き着いた感じです。

橘

あ、数学がお好きなんですね!

大谷さん
大谷さん

はい。それに、クライミングと数学には根源的に似ているところがあるとも感じますね。

橘

すごいわかります。ぼくも趣味で受験数学に挑んだりしますけど、問題に向き合ったときの感覚はまさに「オブザベ」ですね。

大谷さん
大谷さん

ですよね。ぼくはペンシルパズルとかもめっちゃ好きで、クライミングにしても、ルートセットにしてもパズル感覚でハマったところがありますね。

ご自身の興味を追求した結果、現在の生活に落ち着いたそうです。

ジム課題とコンペ課題

セッターとしてジムでもコンペでも活躍している大谷さん。

そんな大谷さんにぜひお尋ねしたかったのが、コンペとジムの出題傾向の違いについて。

「コンペ用の課題」と「ジムの常設課題」には、それぞれに特色があり、両者は別ものといった認識がクライマーたちの間で広く共有されています。

そうした課題の傾向に違いが生じる背景についてお伺いしてみました!



大谷さん
大谷さん

目的意識の違いですね。ジムは基本的に「練習をする場所」なので、さまざまなムーブに取り組めるようにします。

橘

なるほど。充実した練習環境を提供できるように心がけるのですね。

大谷さん
大谷さん

課題の内容が偏らないようにバランスの良いセットを心がけています。

ジムの課題は成長機会を与えられるようにセットするそうです。

大谷さん
大谷さん

それに対して、コンペは勝負の場であると同時に、クライマーたちが登りを見てもらう場なんですね。

橘

たしかに、観客も入りますもんね。

大谷さん
大谷さん

なので、見栄えも意識しています。一見してどう登るのかわからないというのは、観客にとっても、順位を競う選手たちにとっても大事なことです。

橘

たしかに、コンペセットは奇抜だったり、迫力のある課題が多い印象です。

大谷さん
大谷さん

あと、ジムと比べるとグレードとかはあまり気にしないですね

橘

あ、そうなんですね? むしろ課題の難易度についてはシビアに考えているのかと思いました。

大谷さん
大谷さん

もちろん強度は考えますけど、それが何級かとかより、何人登れそうか考える感じですね。なので、コンペの場合は出場者を見て強度を決定しています。

橘

あの選手ならこれくらいは登れるだろうから、みたいな感じですか?

大谷さん
大谷さん

そうです。この選手たちをふるいに掛けるならこれくらいかな、と考えながらセットしています。

橘

ということは、選手たちの実力やプレイスタイルを知っておく必要があるわけですね?

大谷さん
大谷さん

そうなんですよ。ただ、最近は若手も続々出てくるし、子どもの成長って劇的なので、把握はけっこうキツイですね(笑)

ご自分の現役時代よりレベルが上がっていると感じるそうです。

コンペセッターの思惑

やはり、セッターはコンペのセットにおいてそれ相応の気遣いをしていることが判明しました。

ところで、クライマーの方たちのなかには、コンペでの好成績を目指して日夜練習に励んでいる方たちも多いことでしょう。

というわけで、ここからはコンペのセットをするときに考えていることについて、さらに突っ込んでお尋ねしていきたいと思います!

競技志向のクライマーのみなさまはぜひ注意深くお読みください


大谷さん
大谷さん

個人的な好みですが、第一に単純なフィジカルで差をつけることは避けたいですね。

橘

保持力勝負とかではなく、いろいろさせたいということですね?

大谷さん
大谷さん

そうですね。それぞれの選手が持ち味を活かせるように、多様な能力を求める課題をセットしようと心がけています。

橘

じゃあ、日頃から自分の長所を把握しつつも、いろいろな課題を登って弱点をなくしておくことが大事になりそうですね。

大谷さん
大谷さん

ジムではなかなか見かけないムーブをやらせたいと思ってます。たとえば、最近の個人的な好みだと、ジャミングとかですね。

橘

みんなが練習してこないところを狙っていくみたいな?

大谷さん
大谷さん

まあ、そうですね。ジャミングは個人的に好きだからってのもあるんですけど、選手の裏はかきたいですよね(笑)

自分は「いじわる」だと言う大谷さん。

大谷さん
大谷さん

といっても、最近はむしろ奇抜な課題は減っているようにも思いますね。

橘

そうなんですか?

大谷さん
大谷さん

少し前まではムーブが読めないようなトリッキーな課題が流行っていたんですけど、最近はムーブはわかるけど実行が難しいっていう課題が目立ちます。

橘

「裏の裏」っていう感じで、結局は基本に忠実な課題になったんですね。

大谷さん
大谷さん

そんな感じですね。

新しいホールドの登場も課題に影響するのだそうです。

橘

でも、大谷さんとしてはそんな原点回帰の流れに……

大谷さん
大谷さん

やっぱり逆らって、ムーブで悩ませたいですよね(笑)

橘

ということは、セッターに大谷さんがいるコンペでは、その時の流行りに逆らうような課題が出るってことですね!

大谷さん
大谷さん

たしかに(笑) でも、そんなふうにヤマ張られたら不本意なので、素直につくるかもしれないです。

橘

逆の逆の、そのまた逆かもしれないってことですね。

大谷さん
大谷さん

だから結局、コンペで強くなりたいなら、課題を予想するよりもいろいろなルートをたくさん登れってことですね。

2020年関東小中学生大会の予選ルートをセットする大谷さん。
(神奈川山岳スポーツセンターにて)

セッターからのメッセージ

後に、大谷さんからコンペに挑むクライマーに向けてアドバイスをいただきました。

来季はオール神奈川への出場も予定しているという大谷さん。

過去には国体強化選手に幾度も選ばれた実力者でもあります。

そんな大谷さんがクライミングにおいて大切にしている心がけについて、お聞かせいただきました。

いかに力を抜くか

大谷さん
大谷さん

ぼく自身まだまだですし、コーチでもなんでもないんで、大したことは言えないですけど……

橘

とはいえ、クライマーとしてのキャリアは素晴らしいと思うので、ぜひ聞かせてください!

大谷さん
大谷さん

そうですね……。さっきも話したんですけど、ぼくはフィジカルだけで登れるような課題にはしたくないタイプなんですよね。

橘

能力の多様性を尊重したいんですよね。

大谷さん
大谷さん

だから、「いかに力を入れるか」っていうことばかりではなく、「いかに力を抜くか」についてもっと考えたほうが良いんじゃないかなって思います。

橘

なるほど、脱力ですか……

大谷さん
大谷さん

とくに男性だとパワーで登れる課題ばかりやってしまう傾向があると思うんですけど、課題を好き嫌いしないことが大事だと思いますね。

とくにスラブをおそろかにしてはいけない、と大谷さん。

競技者以前にクライマー

大谷さん
大谷さん

それから最近、クライミングの競技色がますます強まっているように感じるんですよね。

橘

たしかに……。オリンピックのイメージも大きく影響してそうですね。

大谷さん
大谷さん

そうです。スポーツクライミングの「スポーツ」の部分がだいぶ濃くなっているように思うんですけど、自分はもっとクライミング自体を楽しんだほうが良いと思うんです。

橘

クライミング自体を?

大谷さん
大谷さん

具体的には、外岩とかですよね。最近だとコンペに必要なことしかやらないって選手が増えているように思うんですけど、それだと登りの幅が狭まると思います。

橘

なるほど。コンペで勝つことばかりに囚われてしまうと、つまらなくなると?

大谷さん
大谷さん

ですね。外岩の経験がコンペに直結するかといえば怪しいですけど、長期的に見ればクライミングについての理解が深まるし、最終的には技術や実力の差として表れるはずです。

橘

わかる気がします。塾で得点力を上げるのも良いけど、学問それ自体を楽しむことが本質的な実力アップにつながる、みたいな話ですね。

大谷さん
大谷さん

ああ、なんか自分これめっちゃ良いこと言えましたね(笑)

橘

ですね(笑) ハッとさせられました!

2019年にはアメリカまで行って外岩を楽しまれたとそうです。
異国の大自然を旅する経験は、人間的にも成長や発見がありそうですね!

登るクリエイター

上が今回のインタビュー報告となります。

振り返ってみると、今回は大谷さんの”ものつくり”論を聞かせていただいた時間だったように思います。

大谷さんは ”クライマー” である以前に、”クリエイター”としての優れた素養をお持ちの方だったという印象です。

そうした大谷さんの創造的な感性は、山岳部の専用ウォールをいじくりまわしていた高校時代に養われ、プログラマーとセッターを兼業されている現在の生活スタイルにつながっていったのでしょう。

ただ登るだけではなく、つくることも通じて、クライミングと多角的に向き合い、そして楽しんでいる方のように感じられました。

「プログラミングが副業で本業がセッター」も楽しそうだとか。

くわえて、そもそも優れたクライマーとは、同時に優れたクリエイターであるようにも思われます。

実際、実力者たちは総じて課題作成の能力にも長けており、セットや開拓の経験を有しています。

インタビューの途中、大谷さんは数学とクライミングの共通点としてパズル要素に言及されましたが、一般にパズルというものは、自分で問題を作成してみると理解が深まると言われています。

一方では、パズルの構造をよく理解しているからこそ、上手に問題を作成できるという事情もあります。

クライマーのみなさんにおかれましては、練習方法の一環として、課題の作成も積極的に行なってみると良いかもしれません!



橘

大谷さん、本日はありがとうございました!

大谷さん
大谷さん

いえいえ、お役に立てたなら良かったです。

最後に記念撮影もしていただきました!


さて。

そんな大谷さんがセットしてくださった壁は、今年12月までお楽しみいただけます。

お近くにお立ち寄りの際は、ぜひ BolBol までお越しください!

大谷さんらしいユニークな垂壁に仕上がっています!

なお、過去のインタビュー記事は以下のリンクからご覧いただけます。

通して読めば、実力者たちに共通する考え方が見えてくるかもしれません!


今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

それでは、ガンバです!


提供:ボルダリングジムBolBol